中学受験の親の悩みQ&A
中学受験をめざす親のみなさんから届く報告、悩み、相談は年間1,000を超えます。ストロング宮迫が答えたものをまとめてみました。
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この間、タイガー山中が旧知の後輩と飲んだそうです。

もう酒好きで飲み始めたらベロンベロンになるまで酔っぱらう後輩だそうで、いつもは明け方近くまで飲むのが当たり前の後輩がその日は終電で帰ると言ったとか。

「いま朝勉してるんですよ、5時半から。なんで帰ります」

中学受験をする娘と一緒に早起きして塾の復習をしているらしい。その後輩、中小企業の社長さんなんで何かと付き合いもあって夜は遅くなることも多く、勉強を見てやれないので、誰からも邪魔が入らない朝にやっているそうです。

子供の成績も結構良いらしく、最難関校を目指しているとか。子供の勉強に時間を捧げたことがない人にはわからないだろうけど、やったらその面白さにはまる人は数多くいます。

まあ、成果が出ないとハマらないのは大人も子供も一緒ですが。もう何の生産性もない夜の付き合いなんてやってられないという人も出てきたりする。

そこに喜びと悔しさと成長と挫折がすべて詰まってる。子供の成長はドラマですからねえ。

そんなふうにして子供と接していくなかで考えたり、悩んだりしている方にぜひ手にとって読んでみてほしい本があります。

河合隼雄著作集『流動する家族関係』

まあ、『流動する家族関係』と言われてもあんまり興味は湧かないのかもしれないけれど、興味があるかないかはこの本の一節を読んで判断してくださいな。

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対話と自立

河合隼雄著作集『流動する家族関係』より

ある中年夫婦の一人息子の高校生が、学校へ登校しなくなってしまった。これと言って理由がないのに学校へ行かず、家でぶらぶらしている。母親が叱っても効果がない。

父親は会社の部長として多忙な日をおくっているので、息子と話し合う機会がないし、母親の訴えもゆっくり聞いている暇がない。そのうちに行くだろうなどと言って、深刻に取りあげようとしなかった。

ところが、息子の不登校はなかなか終らない。そのうちに母親に反抗しはじめ、物などなげるようになった。母親はたまりかねて父親に強力に訴え、とうとう父親が息子と対決することになった。

人間は嫌でも何でもなすべきことはなさねばならない。高校生は嫌でも登校しなくてはならないと父親が言うと、息子は反撥した。お父さんは好きなことばかりしているではないか、と言うのである。

会社では部長で威張っている。つきあいだと弁解しながら、結構好きな酒を飲んできている。休日はゴルフにばかり出て行くというのである。父親はたまりかねて、会社の部長といっても、どれほど馬鹿げた仕事をしなくてはならぬときがあるかを説明した。それは、あまりにも馬鹿げたことで妻子にも語りたくない。だから、普通のときは、どうしても自分が会社で好きなことをして活躍しているようなことばかり話すことになるのだが、実際は違うのだと。

ここに行われた会話は、本来ならば夫婦の間でするべきことであった。「好きなことばかりしているじゃないか」というのは、母親が父親に対して言いたいことであった。「嫌いなことや、馬鹿げたことをたくさんしているのだ」ということも、夫が妻に言うべきことであった。

しかし、このような対話をすることは難しいことである。昔の夫婦はこんなことを話し合う必要がなかった。第一、夫婦ともに生きてゆくのに忙しくて、不平など言っている暇がなかった。

第二に、既に述べてきたように、日本の母性的な大家族のなかでは、対話ぬきの一体感が強力な支えとして存在していた。もちろん、このような一体感が家族の成員の個性を圧迫していたことも事実である。

後者の点の反省にたって、われわれは個人の存在を主張しようとしている。大家族による押しつけよりは、個々人の自立を大切にしようと考えている。しかし、その場合には個人と個人の対話が必要である。

個人の自立を欲しながら、われわれはまだまだ対話が下手である。対話をしつつ共存してゆくためには、人は自分の欠点や他人の欠点について、ある程度触れてゆく勇気を持たねばならない。登校拒否の息子は、ここに両親の対話の場を設定したことになり、このようなことを機会に彼は登校に踏み切っていったのである。

息子が登校拒否をはじめたとき、両親は共に息子の行為を嘆くのであるが、実はそれによってこそ、両親たちは中年夫婦の危機をうまく乗り切れたのである。中年の夫婦が子どものことや、自分たちの親兄弟のこと、あるいは、その他いろいろなことで災難を受けたと嘆いているとき、それをよく見ると、それが夫婦の危機を避けてゆくために、うまく役立っていることが多いものである。

「自立」というのは子供のことを考えるときに親が特に好きな言葉のうちの1つだと思いますが、河合隼雄先生の

個々人の自立を大切にしようと考えている。しかし、その場合には個人と個人の対話が必要である。

については親はよくよくかみしめたいところですね。対話はしないけれど、自立はしてほしいという親は多いですから。

ああ、小言をいうのは「対話」じゃないですよ。ちゃんと向き合って本音で対決するってことですからね。
【お母さんからの相談】自分からは勉強しないけど、うちの子だけでしょうか?

この項の続きでこんな記載もあります。

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自分の人生というときそこに子供入っているか?

河合隼雄著作集『流動する家族関係』より

自立に伴う自己犠性についてまったく自覚のない人が、強い自立志向をもつと、その家族の中から思いがけない、いけにえを出さねばならない。

乱暴で情緒不安定、困った子どもだと思われていた小学生の男の子が、学校で飼っているうさぎを残虐な方法で殺してしまった。この子の両親が、自分たちは「自分の人生」をしっかり生きていたら自分の子どもも自分の人生をしっかり生きてくれると思っていたと反省まじりに話されるのを聞いて、あきれてしまったことがある。

確かに言われていることは正しいのだが、自分の人生と言うものの中に、自分の子どもが全然はいっていないのだから困ってしまうのである。

人生はパラドックスに満ちているが、われわれが「自己」とか「私」とか言うとき、それは思いの外に他人を含んでいるのである。近頃はやりの「自己実現」という言葉も、自己というもののもつ、前述のパラドックスに気づかないと、まったく馬鹿げたことになる。

自己を生かそうとするものは、自己犠牡を強いられる。これは不思議なことであるが、事実なので仕方がない。

何十年も前に書かれたものとは思えないですなあ。

最後にもう1つね。

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子供に手を抜いても楽にならない

河合隼雄著作集『流動する家族関係』より

Aさんは中学校の教師である。熱心で立派な先生と評判が高い人であったが、実のところ、自分自身の子どものことには困り果てていた。

中学生の息子の成績がよくないのである。それも原因ははっきりしていて、息子は中学入学以来ぶらぶらとして勉強しないのである。「教育者のくせに自分の子を教育できないのですか」と奥さんに責められて、Aさんは息子の「家庭教師」になった。

Aさんにとってこれは随分と苦しいことであった。学校でも仕事、家でも仕事。どうしてもどちらか一方を怠けたくなってくる。それでも「教育者」であるという自覚によって、どちらもやり抜こうとした。

ところが、息子の成績は一向によくならない。家で教えてみると解りがいいのだが、試験になると馬鹿なミスをする。Aさんはたまりかねて答案を検討するのだが、そのうち、中学校の試験問題それ自身も随分と馬鹿げていると感じることもあった。

Aさんの息子の学校はいわゆる受験校なので生徒がよく勉強するためか、実に些末な知識を要求したり、妙に生徒のミスを誘うような問題が多い。今まで問題を作り採点する側として見ていた試験を、受ける側からの目で見直すことによって、Aさんはいいいろいろ反省させられるところがあった。

しかし、それはそれとして息子の成績の悪いのは腹が立つ。たまりかねて、息子に説教してしまった。自分は校務に疲れているのに、お前のことを思って教えてやっているのが解らないのか・・・・・。

息子はこれに対して、お父さんは勉強が大事とばかり言うが、「自分自身は何も勉強していないじゃないか」と言った。これは父親にとって腹にこたえる一言であった。Aさんは息子を教え、その試験問題を見て疑問に感じていたことを解決するために、自分の教えている教科の教育研究をする研究会にはいり「勉強」することにした。

「お父さんが勉強するなら、僕も自分でやるよ」といったとおり、息子も勉強しはじめた。不思議なことに息子は以前のような馬鹿なミスをしなくなり、能力相応の成績をとるようになった。

この話を聞いて、自分は自分の研究に専念しているから、息子の教育は大丈夫と思う人があれば単純にすぎる。研究ばかりしている父親に対しては、息子は人間として接することを求めたり、「教育者」としての在り方を正面から問いかけてくるだろう。実際、そのような例も筆者は数多く知っている。

要するに、父親が高所から安易に接してくるのを息子は拒否したいのである。Aさんの最初の努力が示しているように、いくら頑張っても、それが「息子のために・・・してやる」という態度であるかぎり効力をもたない。Aさんが自ら研究会にはいって頑張ろうと決意するとき、今までとはまったく違った地平が開けている。

ここで特に強調したいことは、このような次元の異なる世界が開けたとき、人間は今までにないエネルギー量を自分のものとして使用できるという事実である。

校務にプラスして研究会活動、それに息子の勉強もちょいちょいと見てやる。それでも以前のように疲れないのである。家族、職場、社会、それらの絆のどれかを弱めることによって、エネルギーの節約をはかるのは安易な考えである。

Aさんがしたように、最初は見当違いにしろ、学校とも息子ともつながっていこうとして絆を切らずに努力をしていると、地平が開け、新しいエネルギーの鉱脈を発見することになるのだ。物質文明の発達と共に、人間は自分自身を何かに使われている機械のイメージにあてはめるようになったのではなかろうか。

それをなるべく長持ちさせるためには、なるべく使用しないほうがいいと思っているようである。あるいは、職場でエネルギーを消費したので家庭でそれを節約する。あるいは、その逆を考える。

しかし、先の例に示したように、われわれは機械ではなく、新しい鉱脈を発見したきは、以前と異なるエネルギーを出すことができる。例によって明らかと思うが、これは無茶苦茶に頑張ることのみを善しと主張しているのではない。

子どもに長時間勉強を教える努力と、子どもの「お父さん自身は勉強していない」という提言を正面から受けて立つ努力とは質が異なる。われわれは実のところ、後者の苦しさを逃れるために、前者の努力を重ねていることが多いのではなかろうか。・・・・・

いかがでしょうか? 

「新しい鉱脈を発見したきは、以前と異なるエネルギーを出すことができる」

は経験した人にはすごく共感できる話でしょう。わかる人にはすごくよくわかり、わからない人にはいっこうに分からない話ですね。

「家族、職場、社会」うまくいっている人は総取りで、うまくいっていない人は総落としになっている事例を本当によく見かけます。まさに「All or Nothing」ですな。
【親のノウハウ】中学受験は親の受験。親が変われば、子供も変わります。

さあ、あなたも子供と向き合って話し合って楽しく対決しましょう!

河合隼雄著作集『流動する家族関係』より

人間の幸福や、生き方について簡単なルールはないようである。ただ、どこまで誠実に自分の生き方について考え、生ききるかということになるのであろう。

自分の幸福のみを単純に考え、子どもの幸福を無視するのは、まったく馬鹿げているし、子どもの幸福のみを考えて、自分たちの生き方をまげてしまうのも望ましいことではない。

片方のみを重視する人は、結局はそれをも失ってしまうことになるだろう。人生の問題は、あれかこれかの選択としてではなく、あれもこれも担うことによって解決に至ることが多いように思われる。

機会があったらぜひ手に取ってみてください。

河合隼雄著作集『流動する家族関係』

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