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親はガイドであり、同行者ですな
この前、NHKのテレビで『実践!にっぽん百名山』を見ました。
この中で日本の女性山岳ガイドの草分け、加藤美樹さんが伝授する登山のテクニック「教えて!山テク」がすごくおもしろかった。
勉強でも習い事でもそうですが、
最初に習う先生というのは実に大切ですよね。
学校の先生は選べないんだけれど、
自分が習うものは先生が選べる。
しかし、多くの親は家から近いことや友達が行っているからなどテキトーな理由で教室を選びます。
テキトーな理由というのが言い過ぎなら、仕方がない、そこしかなかったというような理由で。
塾だったら、通う教室の先生も見ないで合格実績で決めたり・・・
まあ、日本はイイ国だから、テキトーに決めてもだいたい満足ということにはなるんでしょうがね。
成績がイイ子の親はキッチリしている
一方でイイ先生を探している「孟母三遷ママ」もいる。
なぜなら子供が誰に習うかで習い事の好き嫌いや物の捉え方、鍛練に大きな影響を与えるからです。
タイガー山中なんかが家庭教師で入ると「孟母三遷ママ」は絶対に手放しません。タイガー山中のスケジュールを全部押さえちゃう。土日は朝から晩までとかね。離してなるものか!ってわけです。
ただそういう親もタイガー山中が「いいですよ!」なんてことは他人にはいっさい言いません。これが全然宣伝してくれないんですな。身内の親せきに年頃の子供がいても断じて紹介はしない。
あれはホント不思議なくらいで「成績がイイ秘密」なんて誰にも教えたくないでしょう。ウチの子が学生の間は独占してあとは口をつむぐ。だからといってタイガー山中がかつて新規の募集なんてしたことない。
CIA並みの情報収集能力があるのか、どこから噂を聞いてくるのかスケジュールが埋まっちゃう。同じ習うならイイ先生にならいたいですわね、そりゃあ。
まあ、そういう「孟母三遷ママ」は全体の1割程度だから逆に成り立つわけで、残り9割はテキトーな理由でジャンジャン選ぶから全体の需給のバランスは取れているともいえるわけです。
計算ある「挑戦」と「軽率は違う
タイガー山中の話はさておき、山登りはしたことがない私ですが、もし山登りするなら「教えて!山テク」の加藤美樹先生に習いたいなとテレビを見て思いました。
もう言っていることが理にかなってるんですよ。
私が見たのは「第1回 登りの足運び」「第2回 安全に下る方法」でしたが、これってみんなガイドの人は教えてくれるのかな?
もしこれは山登りの常識であったりまえなんだとしても、それでも加藤美樹先生のガイドで山に登りたいと思うのは、その考え方ですね。
イイ先生ってのは、技術的なことだけでなく、その根底の考え方がしっかりあるかどうかでも判断できるでしょう。
その判断は人によって分かれるのは当然ですが、ブログにアップしてあった加藤美樹先生のこの一節にストロング宮迫は特に共鳴します。
2012年GW 5月 北アルプス・残雪期・竜王岳東尾根
http://mikiyatsu.jp/page122.html計算ある「挑戦」と、行き当たりバッタリの「軽率」
挑戦ナシにはステップアップは出来ない。けれど大きく踏み出しすぎたステップには、大きな危険も伴う。
出来れば自分で経験するのは、小さなステップに止めて欲しいだけに、ガイド山行だからこそ、こういった経験を積むことも、やはり大切なのだろう。
ガイドっていうのは先生と一緒ですよね。経験は積まさねばならないけれど、無謀な挑戦をして勝手に自信喪失させたはいけないし、計算された安全な道だけを歩ませて有頂天にさせてもならない。
しかし、塾なんかからは難関校の過去問が宿題に出され、志望校の過去問だったのでやったらまるでできなくて子供が自信喪失して勉強しなくなりましたとか、そういう報告がたくさん来ます。
無謀な挑戦は挑戦じゃないからね
挑戦ナシにはステップアップは出来ない。けれど大きく踏み出しすぎたステップには、大きな危険も伴う。
これをきちんと知っているのが良いガイドなのであって【計算ある「挑戦」と、行き当たりバッタリの「軽率」】の区別もしないで、機械的に一律に「無謀な宿題」を出されても困るわけです。
無謀と有頂天のぎりぎりのせめぎ合いのレベルを提供しつつ、経験を積ませ、ふざけていたら叱咤し、あと一歩なら背中を押してやらないといけない。
こういう体験をさせてくれるイイ先生に出会えたら幸運ですが、あなたのお子さんは出会っているでしょうか?
出会っていないなら「孟母三遷ママ」となって探すか、近くにいそうにないなら親であるあなたが「イイ先生」にならなければなりません。
イイ先生っていうのは「教師」ではないですよ。
→ 【親のノウハウ】中学受験は親の受験。親が変われば、子供も変わります。
昨日、漫画原作者の小池一夫先生がそれに関することをツイッターでつぶやいておられましたのでブログにアップしました。
「私は教師ではなく、道を尋ねられた同行者にすぎない」という、バーナード・ショウの言葉を胸に、僕なりに長年やって来た。全ての教師がこの言葉を胸に刻ンだら、自ずと生徒の態度も変わるだろうと思う。
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2014, 9月 21
道を尋ねてもらえる信頼があるか?
親であるあなたも子供の「同行者」にすぎません。ガイドなんです。
あなたは道を尋ねてもらえる信頼がありますか?
道を尋ねられたらアドバイスできることがありますか?
何時間も勉強させて成果が出ずに怒ってばかりいませんか?
「何度やったらわかるの? 真剣にやってる?」なんて理解もしてない問題を繰り返しで何とかしようなどと言う無謀な「軽率」に陥っていませんか?
あなたはちゃんと計算しているんですか?
計算していてもその計算が狂うことはしばしばあります。しかし、それは「計算していない」のとは違うんです。
計算もせずにただ頑張らせることを「無謀」といいます。行き当たりばったりの勉強を「軽率」といいます。
入試は親子がしたようになります。そこに先生が加わる。親も先生も「無謀」か「軽率」なら子供は遭難します。
→ 【お母さんからの相談】勉強のやる気がない!受験をやめさせるべきだろうか?
【小さなステップ】で【計算ある「挑戦」】をすれば、子供は1つ上のステージにステップアップします。頂上は近づく。
一生懸命登っているけれど、そっちは遭難しますよという道に思い切って進んでいる人もいれば、登っているつもりが実際には山を下っていっている人もいます、着実に頂上に向かっている人もいる。
どの道を選ぶかは自由です。
あなたが来た道はあなたが選んで進んできた道です
言えるのは遭難する道を行っている人はたいてい遭難するし、山を下っている人は下山します。そしてステップアップしている人は頂上に近づく。それは間違いない。
歩んだようになります。
今どこを進んでいるんだろうか?って考えれば、結末を感じたり、想像することができるはずです。なんにでも前兆はあるものですから。
山は頂上に行くのがゴールじゃないですよね。下山して初めて山登りはゴールになります。
技術やテクニックだけで登れば、いつだって危険をはらみます。安全に挑戦しながら受験後も通用する考え方や勉強のやり方をしていくべきでしょう。
その同行者は親であるあなたです。
あなたはガイドの資格があるのかどうか。子供を観察していない人にその資格はありません。
だって「同行者」は「道を尋ねられた」ら答えないといけないんですから。
→ 【親のノウハウ】親にしかできない勉強の工夫を実践。教育系の雑誌でも親技を紹介されてきました